自分の心の位置
様々な「理由」「状態」そして「思い」から、当サイトにご来訪頂いた事と思います。気力が低下してしまい、ひきこもっている方…「この人生が無意味だ」と感じてしまっている方…「思い通りに生きられない…人間関係に疲れてしまった…」など。
「勝ち組」「負け組み」等という表現に溢れたこの時代を生きていると、時々「人生ってこんな物でしかないのか?」と憤ってしまう事が多々あります。
そんな時代の中で、モチベーションの維持が困難になるのは、特別な事ではありません。自分だけがダメだったのではなく、努力不足だったのでもないのです。もちろん「私が悪いんじゃない!社会が悪いんだ!」と「社会悪」をかざして自己の正当化を目論んでいる訳ではありません。私が今回伝えたいのは、社会に対するご自身の心の位置についてです。
様々なクライアント様と向き合わせて頂く中で、うつに悩まれている方の多くが、非常に勤勉であり、本来活発な方である事に気付きます。現在ひきこもっている方の多くも、とてもユーモアのセンスに溢れ、知力が高く感性も豊かである事が多く、事前面談をしていると、とても和やかな雰囲気になり『何でココ(セラピー室)に来たの?』と冗談まで飛び出す事もあります。それだけ、社会や「場」への「浸透性」や「協調性」に優れていると言えます。簡単な日常会話に言い換えるなら『気を使いすぎる…気にしすぎる』と言われた事が多い方かも知れません。
『気を使いすぎる…気にしすぎる』と言う言葉は、非常にあいまいな言葉で、否定なのか肯定なのか良く理解しかねます。それこそ言い方・ニュアンスで変化する「表現的」な部分に頼る言葉の一つだと思います。
『あなたは気を使いすぎる!気にしすぎる』と言われた時、どう感じるでしょう?。素直に「A:そうか…もっと気楽にいかなきゃいけないな…」と思われますか?それとも相手に対して「B:あなたこそこちらにもっと気を使ってくれ!」と思われますか?。
勿論、そのどちらでもない事も大いに結構ですが、はっきり言えるのはAもBも疲れます。Aは受容して自己変革を求められますし、Bは対立するからです。
そこで「こもり」の手段が選ばれる事もあります。「ひきこもる」と言う事は、言葉の上・印象の上では、あまり生産的なイメージを与えません。しかし、気を使わずに対立も避ける為に、これ以上の手段はないでしょう。「ひきこもる」事で人格維持を行い、自ら命を絶つと言う手段に出る事無く、やがて訪れるであろう自分にとって最良の「場」、そのタイミングを待っているのかも知れません。
ヒマワリは夏の終わりに確実に種を大地に落としています。しかし、真冬に自然のヒマワリは発芽しません。雪の中からヒマワリが出てくる事は無いのです。仮に温室で育てたヒマワリを雪に埋もれた大地に植え替えたら、翌朝には凍り付きやがて枯れます。
枯れる事を選択しない為に「ひきこもる」と言う手段に出ているのであれば、「ひきこもるな!」と言う事は「外に出て枯れろ!」と言っている事と同じではないでしょうか?。
社会は「ひきこもり」を劣勢的解釈として認知しているのかも知れませんが、実は生命の知恵のひとつでもあると考えます。
「咲く準備」を行わずして花は咲けません。ヒマワリは温度や季節などの「場」を感知して発芽しますが、人間は更に「自己意識」によっても変わります。この意識力のおかげで、人類は様々な事に挑み可能にして来ました。
「外に出れば傷つく…疲れる…面白くない…他人との関係は面倒だ…厄介な事はゴメンだ」等、これも意識力による自己暗示であり、言い換えるなら暗示を受け入れる能力に優れている結果なのです。催眠は、暗示性を利用した心理状態なので、暗示を受け入れてきた方に対して、非常に有利な分野とも言えます。
最も肝心なのは『あなたが本来の自分を知り、そう生きたいか?』が重要です。このページを読破して下さったあなたは、そう考えていたのでしょう。でなければ、わざわざ検索して、このような深階層のページを最後まで読みません。
あなたには、こうありたいと言う「理想」があったと言う事です。ただ「理想と現実のギャップ」に、揺れ動いているのではないでしょうか?或いは、余りにも理想が眩しすぎて「自分じゃ無理」と自己暗示を入れ直してはいませんか?。無理はいけません。今日は「理想を再認識できた」その事だけで充分じゃないですか。
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